tamonoki020715

 

“自分はどんな人間で、何がしたいのか。”

生きていく上で最も基本となる、根幹にあるであろうこの問いを、自身の就職活動で初めて突きつけられ、非常に戸惑ってしまったことが、今回の卒論作成の動機となっている。体験、経験がもたらすものの大きさの実感から、体験、経験を、教育の過程の早い段階から、もっと取り入れてはどうだろうか、「新学習指導要領」に基づいて今年度より本格実施されている「総合的な学習の時間」の中に、こうした体験、経験を多く盛り込むことができないだろうか、と考えた。

しかし、ここまで調べてきて、また、飲み会の席での他愛のない議論から、自身の視点や考えなども含め、以下のような疑問を抱くようになった。

・上記の問いについて、自分がそれまで全く考えたことがなかったことを、本当に、教育だけにその原因を求めても良いのだろうか。

・そもそも教育行政とは何か。

・総合的な学習の時間は本当に、子供達にとってプラスとなるものなのか。

学校のトップとしての校長の力量、並びに現場の教師の力量が問われるが、現在のような教員のシステムで、これらに期待できるだろうか。

・“個性”をうたうのなら、個々が個々の目的、目標に基づいて学ぶ、というスタイルをとり、国がこれに関与する必要はないのではないか。

 学校ごと、それぞれの特色を打ち出し、それに賛同するものがその学校を選択し、そういった環境の中で、学校が淘汰されていく状況が望ましいのでは。

正直、現在、頭が混乱してしまっている状態である。それこそ、現在の教育の場に必要とされている、目的、目標がはっきりしていないのだ。

 そこで私は、一度、頭の中を整理する意味でも、教育に関する本に目を通してみようと思い、参考文献に挙げた本を読み始め、今回は、この2冊の、初めのほうの部分で気になった点について、引用、要約を行った。

 

 

「学校がしっかりした姿勢なり結論を示すと、子供の反応も変わってくるんです。」

教育の本質(鵜川 昇著 プレジデント社)p12より引用

 

「教育問題の歴史について

社会問題としての教育問題は、一九七〇年半ば以降、ここ二十年余りの間、実は基本的に変化していない。

日本経済の大きな転換点、高度成長期を終わらせた一九七四年の第一次オイルショックと同様、戦後教育の転換点も、七〇年代半ば。それまでは、進学率の向上など教育の量的拡大が経済の成長と足並みをそろえて進むなか、子どもや親も一種の上昇志向の中で教育に期待し、努力することもできた時代。

教育の大衆化の完成

七三年・・・大学・短大進学率三〇%越える

七四年・・・高校進学率九十%越える

 

しかし、この大衆化と同時に、教育荒廃、教育病理といわれる問題が噴出。

戦後減少を続けていた不登校が、七五年に増加に転じ、九八年には小中学校の不登校児童生徒数(年間三十日以上欠席)は全国で焼く十二万八〇〇〇人となる。

七五年〜偏差値問題。七六年には文部省が進路指導の業者テスト依存を避けるように通知。

八〇年代〜校内暴力問題→いじめ問題

今日まで、受験戦争と問題行動(暴力、いじめ、不登校等)が教育問題の二本柱。

 

八五年前後、既に使われ始めていた「こころの教育」。豊かな人間性や社会性、すなわち心を育む教育が十分に行われていない、という問題意識から。

九六年七月、「今後における教育の在り方として、『ゆとり』のなかで、子供たちに『生きる力』をはぐくんでいくことが基本である」九八年六月、「幼児期からの心の教育の在り方について」・・・中央教育審議会答申

 

転換点以前の教育

量的拡大による機会均等と平均水準の向上を目標としたもの。在り方は画一的だが、欧米に追いつき追い越せという経済社会の要請とも相まって、教育界におけるそれないの明確な目標と方向感覚が活力を生み、教育の普及の完成をもたらす。」

現役文部省官僚が直言 「ゆとり教育」亡国論 学力向上の教育改革を!(大森 不二雄著 PHP研究所)第一章より要約

 

 

 

参照サイト

財団法人日本青少年研究所 http://www1.odn.ne.jp/youth-study/

 

 

参考文献

教育の本質(鵜川 昇著 プレジデント社)

現役文部省官僚が直言 「ゆとり教育」亡国論 学力向上の教育改革を!(大森 不二雄著 PHP研究所)